アフリカとヨーロッパの歴史的な関係とは?

アフリカはヨーロッパの旧植民地、ヨーロッパはアフリカの旧宗主国という関係にあります。今は独立していますが、かつてはアフリカ全土がヨーロッパ7か国の植民地支配下にありました。その際にヨーロッパの言語や文化、宗教などが広まったことで、今なおその影響が強く残っています。

 

ヨーロッパによるアフリカの植民地支配については【ヨーロッパがアフリカを植民地支配した理由】にて詳しく解説していますので、こちらを参考にして頂ければと思います。

 

ここではアフリカとヨーロッパの関係がわかる、過去の出来事をざっとご紹介したいと思います。

 

 

阿州・ヨーロッパ統一!?アトラントロパ計画とは?

アフリカとヨーロッパ大陸を統一してしまおうという構想が持ち上がったことがあります。ドイツ人建築家のハーマン・ゲーゼルが1928年に発案し、大陸の呼び名はユーラフリカン超大陸という名にする予定だったといいます。

 

とんでも計画のように思えますが、当時国家間で大真面目に議論され、メディアでもさかんに取り上げられたといいます。第一次世界大戦後、深刻となった難民問題を解決する希望とされていたのです。

 

歴史的な欧阿貿易構造「三角貿易」とは

三角貿易とはかつて存在した奴隷貿易における航路のことです。航路は3つの航路で成り立っており、そのうちの一つがヨーロッパからアフリカへの航路でした。

 

ヨーロッパからアフリカへは重火器や火薬、衣類やラム酒などが運ばれ、これらの品々と奴隷として買われたり拉致されたりしたアフリカの人々との交換が行われました。この奴隷貿易で最も利益を得ていたのがヨーロッパ列強でした。

 

ヴィクトリアの滝の名前の由来とは

アフリカ南部の観光名所ヴィクトリアの滝。この呼称は19世紀のイギリス女王の名に由来しており、ヨーロッパ人として初めてアフリカ大陸を横断したスコットランドの探検家リヴィングストンが名付け親です。

 

リヴィンクトンはアフリカ横断中に巨大な滝を目にし、感銘を受けました。そして当時のイギリス女王に捧げるという意味を込め、ヴィクトリアの滝と名づけたのです。