アフリカ史を勉強する上で、避けては通れないのが植民地支配の歴史です。19世紀後半、植民地拡大の為ヨーロッパ列強(スペイン,イタリア,フランス,イギリス,ドイツ,ポルトガル,ベルギー)はこぞってアフリカに進出し、植民地獲得競争を繰り広げました。
ヨーロッパがアフリカに進出した理由は、大きく2つあります。
ヨーロッパは豊富な天然資源が眠る資源大陸です。
・石油・石炭・天然ガスといった生活に欠かせないエネルギー資源
・ダイヤモンド・金など高価で取引される鉱物資源
などについては、世界埋蔵量の大部分がアフリカに集中していました。
こういった資源の埋蔵量が多い地域を支配下におけば、当然宗主国は甘い蜜を吸えるというわけです。
当時のヨーロッパの人々は奴隷貿易の反対運動を起こすなど、アフリカの人々に対する人権感覚はむしろ現代のものに近づいていました。
しかしそれでも自分達がアフリカの人々より人種的・文明的に優れたものであるという考え方は根強いものであった故、
アフリカを支配下におきヨーロッパの言語、宗教、政治制度などを与えることは、むしろ「未開の地を文明化させる良いこと」と考えていたのです。
しかし結局ヨーロッパ諸国は、自国文明の普及も中途半端に、アフリカ諸国を独立させることになります。
これは
などの理由で普及活動のコストに見合う利益が得られなくなった為、後に引けなくなる前に独立させて手を引いたのです。
このあたりのことは【アフリカ諸国が独立できた理由とは?】のほうで詳しく解説しています。
その際ヨーロッパ諸国は自国の支配域を確定させる為に、既存の民族分布の境界線の上から、人為的な国境線を引きました。それが様々な民族の分断や混在を招き、今なお続く民族紛争を誘発する結果となってしまったのです。
アフリカの国境に直線が多いのは、それらの国境は自然の地形ではなく、経線や緯線などをもとに作られているからです。