アフリカ諸国が独立できた理由とは?

アフリカは18世紀から19世紀後半にかけてヨーロッパ諸国の植民地支配下にありましたが、1960年代に入ると次々と多くの国が独立を果たしました。そのため1960年を、アフリカの急激な政治的変化を象徴するとしてアフリカの年と呼びます。アフリカに9か国しかなかった独立国は、1960年になると一気に26か国まで増加したのです。

 

ヨーロッパの植民地支配について詳細は【アフリカが植民地にされていた理由とは?】にて解説しています。

 

 

アフリカ諸国が独立できた理由とは?

宗主国がアフリカを統治しきれなくなったことが原因です。人口が増え、さらに武器が拡散したことで、戦闘が激化することが予想されました。そうなる前に独立させて手を引いたのです。

 

もともとアフリカでは大量に子どもが生まれていたものの、亡くなる数も多かったので、人口は微増にとどまっていました。しかしヨーロッパが進出し医療が広まったことで、生まれる数が圧倒的に多くなったのです。

 

武力闘争を恐れた?

もし大量のアフリカ人が植民地支配に不満をもって、武力闘争を起こそうものなら、大規模な戦争に発展します。一昔前なら技術力の差で圧倒出来たものの、先進国の武器が広まってしまったので、抑え込むのが容易ではなくなったのです。

 

戦争になれば膨大なお金もかかるので、植民地がかえって宗主国の負担になるようになります。ようするに植民地を持つメリットがなくなってしまったのですね。

 

そもそも植民地拡大の目的が薄かった?

ヨーロッパ勢が植民地を拡大したのは、資源を獲得するという目的もありましたが、もう一つ当時は国威発揚、国の近代化を誇示することに繋がっていたという時勢的な理由もあります。

 

しかしいざ植民地を獲得してみたら、前者の目的に対して得られる儲けが思ったほどでもないことがわかり、後者の目的の為に投資を続けるのもばからしいとなったわけです。アフリカに植民地を持つそもそもの動機が薄かったので、手放すのもさほど痛手でなかったのです。

 

当時アフリカにはヨーロッパ勢が建設した工場や鉄道も多数ありましたが、技術を持ったヨーロッパ人が引き上げてしまった為、素人に扱えるわけもなく、ほとんどが荒廃してしまいました。