アフリカにかつて存在した帝国とは?栄華を誇った国々の歴史

「アフリカの歴史=植民地時代から」なんて思っていたら、それは大きな誤解。実はアフリカ大陸には、ヨーロッパの中世に匹敵、あるいはそれ以上の文明と富を誇った帝国がいくつも存在していたんです。サハラ砂漠を越える交易路で栄えた王国、ナイルの流れに沿って広がった文明、そして金と塩が国を動かした時代――ここではそんなアフリカの偉大な帝国たちの歴史を振り返ってみましょう。

 

 

サハラの向こうに広がった「黄金の帝国」たち

西アフリカは、かつて世界的にも知られる交易帝国の中心地でした。ラクダのキャラバンが砂漠を行き来し、金、塩、象牙、奴隷といった交易品が動いたことで、驚くほどの富と文化が生まれたんです。

 

ガーナ帝国(6〜13世紀)

現在のガーナ共和国とは別の場所(主に今のモーリタニア南部)にあった帝国。西アフリカで最初に“王国”と呼ばれた存在で、金の交易で栄えました。王は「金の王」として神聖視され、首都クンビ・サレーは貿易のハブでした。

 

マリ帝国(13〜16世紀)

世界史でも有名なマンサ・ムーサが登場する帝国。金と塩の交易を牛耳り、ティンブクトゥのような知の都が発展。マンサ・ムーサが1324年に行ったメッカ巡礼では、途中で金をばらまいて物価が乱れたという伝説が残っています。

 

ソンガイ帝国(15〜16世紀)

マリ帝国を引き継ぐ形で成立。ニジェール川流域を支配し、商業・軍事・行政がさらに整備された大帝国に。イスラム法に基づく統治も進み、政治的にも洗練された体制を持っていました。

 

 

東アフリカにもあった“海と交易の王国”

インド洋沿岸では、アラブ、ペルシャ、インド、中国といった外の世界とのつながりによって繁栄した王国がいくつもありました。ここではスワヒリ文化と呼ばれる独自の海洋文化が育ちます。

 

キルワ王国(10〜15世紀)

タンザニア南部の沿岸にあった港町キルワが中心の王国。金・象牙・奴隷などをアラビア半島に輸出し、モスクや宮殿も建てられたイスラム王国です。今もキルワ遺跡にその繁栄の跡が残っています。

 

モンバサ・マリンディ(スワヒリ都市国家群)

今のケニア沿岸にあった交易都市。中世の中国船(鄭和の艦隊)とも接触があり、グローバルな商業都市として機能していました。

 

ナイル流域とエチオピア高原の古代王国

北東アフリカには、アフリカ最古の文明と王国がありました。とくにナイル川と紅海に近いこの地域は、エジプト文明とアフリカの接点としても超重要です。

 

クシュ王国(前1000年頃〜350年)

ナイル上流、現在のスーダンにあった王国。エジプト文明を継承し、なんと一時はエジプトを征服してファラオとなった「黒いファラオ」の時代も。独自の文字(メロエ文字)や金属加工技術を持ち、ピラミッド型の墓も多数残っています。

 

アクスム王国(1〜7世紀)

エチオピア北部にあったキリスト教王国で、アラビア半島との交易を通じて繁栄。独自の石碑建築(ステラ)や、初期キリスト教の受容でも知られ、エチオピア正教の源流にもなっています。

 

 

南部アフリカにも「石の都」があった

ちょっと知られていないけど、アフリカ南部にも高度な文明が存在していました。その代表が、ジンバブエにあった「グレート・ジンバブエ王国」です。

 

グレート・ジンバブエ(11〜15世紀)

巨大な石造建築群を築いた王国。なんとモルタル(接着材)を使わず、石だけを積み上げた「ジンバブエ遺跡」は、サハラ以南最大の石造都市とも言われます。当時は金や象牙をモザンビークの港経由でアラブ諸国に輸出していました。

 

この遺跡があまりにも洗練されていたので、かつては「白人が作ったのでは」と言われたこともありますが、現在では完全にアフリカ人による建設であることが証明されています。

 

これらの帝国が教えてくれること

これらの帝国はいずれも、交易・宗教・技術・軍事・芸術といった面で高いレベルの文明を築いていました。しかも、外とのつながりを積極的に持ちながら、自分たちの文化を育てていたという点がとても印象的です。

 

植民地以前のアフリカは「未開」なんかじゃなく、むしろ世界の重要な一部だったということが、これらの帝国の歴史からよくわかります。

 

アフリカには、ヨーロッパやアジアに勝るとも劣らない誇り高き帝国の歴史があります。黄金を動かし、知を育み、石の都を築いた人々の物語――それは今を生きるアフリカにも、確かにつながっているんです。