
「アフリカで植民地にならなかった国がある」って聞くと、ちょっとびっくりしますよね。ヨーロッパ列強が競ってアフリカを分割していた時代、“唯一独立を守り抜いた国”として知られているのが、エチオピアです。そして、もうひとつよく名前が挙がるのがリベリア。ここではこのふたつの国がなぜ植民地化を免れたのか、その背景をわかりやすく紹介していきます。
エチオピアの国旗
エチオピアの場所
エチオピアはアフリカの中でも長い王朝の歴史を持ち、「アフリカ最古の独立国」と言われる国。特に有名なのが1896年の「アドワの戦い」です。
この戦いで、エチオピア皇帝メネリク2世のもと、エチオピア軍はイタリア軍を撃退しました。これは当時のアフリカでは非常に珍しく、ヨーロッパ列強の軍隊にアフリカが勝った歴史的な戦いだったんです。
どうして勝てたの? というと:
ただし、その後もイタリアはエチオピアへの野心を持ち続け、1936年に一時的に占領(ムッソリーニ政権下での侵略)されました。でもこれは植民地ではなく占領として扱われていて、第二次世界大戦後に再独立を果たしています。
つまり、「完全な植民地化を避けた唯一のアフリカ国家」と言えるわけです。
リベリアの国旗
リベリアの場所
もうひとつ植民地にならなかった国として挙げられるのがリベリア。でも、ここは少し事情が特殊です。
リベリアはアメリカの奴隷解放政策の一環で、アメリカから解放奴隷が移住して建国した国。1822年から移民が始まり、1847年にはアフリカ最初の共和国として独立を宣言しました。
つまり、「ヨーロッパの植民地」にはならなかったけれど、アメリカの強い影響下で誕生した国なんですね。
特筆すべき点:
なので、リベリアは「形式上の独立国家」ではあったけれど、完全に自立していたとは言い難いという見方もあるんです。
19世紀末の「アフリカ分割(ベルリン会議・1884〜85年)」以降、ヨーロッパ列強はアフリカを地図上で分け合いました。列強にとってアフリカは:
という位置づけだったんです。そして、軍事力・外交力が弱かった多くのアフリカ諸国は、武力・条約・買収などを通じてどんどん植民地化されていきました。
エチオピアとリベリアはその中で特別な立場を維持した“数少ない例外”だったんですね。
アフリカの中で「植民地にならなかった国」は、エチオピア(実力で独立を維持)とリベリア(特別な成り立ち)の2つだけ。それぞれの背景には、戦略・外交・歴史の選択があったんです。単なる偶然じゃない、その重みこそ知っておきたいですね。