
どんな暮らしをしているの?教育や医療の現状は?都市と村で何が違うの?などの疑問を持っている人は、ぜひ参考にしてみてください!
アフリカと聞くと、まず自然や野生動物を思い浮かべる方が多いかもしれません。でも実は、人々の暮らしや社会のあり方そのものがとても興味深くて、奥が深いんです。
なにせアフリカには54カ国・3000以上の民族・2000以上の言語が存在するという、世界でも類を見ない「多様性のかたまり」。しかも、それがただバラバラにあるのではなくて、時にはぶつかり合い、時には融合して独自の社会を形づくってきたという歴史があります。
ここではそんなアフリカ社会の中から、民族・宗教・言語・教育・交通という5つのテーマに絞って、「えっ、そんなことあるの!?」という面白エピソードをご紹介していきます!
アフリカに関してよく使われる言葉に「部族」というのがありますが、実はこの表現、今ではあまり使われなくなってきています。
なぜかというと、「部族=未開、対立、野蛮」といったネガティブなイメージを持たせてしまうことがあるから。代わりに最近では「民族(ethnic group)」という言葉が使われることが多いんです。
たとえばナイジェリアには250以上の民族があり、有名なところではハウサ族、イボ族、ヨルバ族など。同じ国の中で文化や言語、宗教が違うグループが共存していて、時にはその違いが政治や社会の摩擦の原因にもなってしまうことも。
でも、結婚や都市化によって新しい文化のミックスも進んでいて、最近では「自分は〇〇族だけど、△△族の言葉も話せるし、家族は□□族」なんて人も増えてるんですよ。
セネガルのモスク
アフリカの宗教といえば、北部はイスラム教、南部はキリスト教というイメージがあるかもしれませんが、実はもっと複雑で多様なんです。
たとえば西アフリカのセネガル。ここではイスラム教徒が多数派なんですが、その隣にキリスト教徒の村があり、モスクの隣に教会が建っていることも普通。
宗教が違っても、お互いの祭りを祝ったり、一緒に食事したり、日常レベルでは共存が当たり前なんです。しかも、そこに伝統宗教の要素がミックスされていることもあって、「毎週教会に行きつつ、先祖の霊にも祈る」みたいなスタイルも珍しくありません。
“どっちか”ではなく、“どれも大事にする”というスタンスが、アフリカ的な信仰の特徴なのかもしれません。
アフリカは世界で最も言語が多い大陸。国によっては一つの国内に100以上の言語が存在することもあります。
たとえばコンゴ民主共和国では、公用語はフランス語ですが、それ以外にもスワヒリ語、リンガラ語、キコンゴ語、チルバ語などの地方言語が話されています。
「え、学校どうなってるの?」って思いますよね。
実際、子どもたちは家では母語(地元の言語)を話し、学校では公用語(英語・フランス語など)、市場では共通語(スワヒリ語など)を使い分けるという、日常的にマルチリンガルな生活を送っているんです。
つまり、「語学に強い」どころじゃなくて、生きていく上で必要なスキルとして、言語の切り替えが当たり前になっているというわけ。すごい柔軟性ですよね。
アフリカの教育というと、「学校が少ない」「先生が足りない」といった課題ばかりが取り上げられがちですが、実はめちゃくちゃ頑張っている人たちがたくさんいるんです。
たとえばルワンダやマラウイなどでは、学校の建物が足りなくて、木の下に机を並べて授業をしているなんてこともあります。それでも学びたいという子どもたちの熱意はものすごい。
また、エチオピアでは、読み書きのできる若者が村に戻って無償で教える「青年教師制度」があったり、ナイジェリアでは携帯電話を使った遠隔教育の仕組みも始まっています。
そして、女子教育の推進やSTEAM教育(理数・技術系)に取り組む国も増えていて、次世代のリーダーを育てようという動きが広がっているんです。
ケニアのミニバス型の乗り合いタクシー「マタトゥ」
出典:Nina StockによるPixabayからの画像
アフリカで移動手段といえば、なんといってもミニバスや乗り合いタクシー! ガーナの「トロトロ」、ケニアの「マタトゥ」、ナイジェリアの「ダンフォ」と、地域によって呼び名は違いますが、どれも庶民の足として欠かせません。
そんなゆるさとカオスがありつつも、実はこれ、地域社会の情報交換の場にもなってるんです。乗り合わせた人同士で世間話、政治の話、時には人生相談まで飛び出すことも。
まさに「走る井戸端会議」とも言える、アフリカならではの交通文化なんですね。
アフリカ社会は、ただ“多様”なだけじゃなくて、その多様さの中に“したたかさ”と“柔軟さ”がぎゅっと詰まっています。民族が違っても一緒に暮らし、宗教が違ってもお祝いし合い、4つの言語を使いこなして、木の下で学び、バスの中で語り合う――そこには、アフリカだからこその“社会のかたち”があるんですね。